『広瀬通りを通るバスに乗ってるとアナウンスでよく聞くけど、行ったことはない』でお馴染みの「仙台市戦災復興記念館」に行きました。
奈津子ちゃんは1945年7月10日の仙台空襲において、わずか11歳で命を奪われた可哀想な少女なのですが、この像はあまり悲壮さを感じさせない面白みがあって良い。私が行った日はバラの花が捧げられてました。
仙台市戦災復興記念館は、1Fに仙台市の戦前-戦中-戦後の復興の資料の展示室、2Fには270席のホール、その他会議室なども備えた施設です。
1981年に開館し、震災を乗り越えたものの築40年と老朽化が進んでいるため、いずれは廃止される予定とのこと。
市民会館もなくなるということなので、ホール的な施設はどこかに新しくできると思いますが、戦災復興系の資料はどこに動かすんだろう?
系統としては、榴岡公園にある歴史民俗資料館にあってもいいかと思うけど、あそこの建物もいっぱいだから、別館増築してそっちに民俗資料を移して、軍事・戦争系をまとめるとか…
資料展示室、料金は大人120円という格安価格。いまじゃ缶ジュースも買えない値段ですが、運営は大丈夫なんでしょうか。しかもこれ、入口に受付の人がいるわけでもなく、自己申告制です。
展示はざっくり言うと、
戦前の仙台の町並みの様子のパネル→戦時中のあれこれ→戦争体験者の方のお話コーナー→戦後の仙台市の復興の様子のパネル
という感じ。
下の写真で目立っている円形のものは、旧仙台市役所庁舎の塔屋内に設置されていたサイレン。イヤホンで、当時の警報を聞くことができます。
ここで、空襲時に投下されていた「電波妨害片”ロープ”」というものを初めて知ったんですが、つまりチャフですよね。
米軍機が旧日本軍のレーダーをかく乱する目的で空からばら撒いてましたが、旧日本軍ポンコツレーダーより、人の目による第一報の方が早かったらしいので、どれほど効果があったのかは謎です。
空襲後にこのロープを拾い集めておいて、のちに田畑のスズメ除けキラキラテープに使ってた人がいたというエピソードをどこかで読んでほっこりしたんですが、どこでみたんだったかな…
↓ピントの合わない写真で恐縮ですが、ここは戦争体験者の方の体験談の朗読が聞けるコーナー。
真ん中にナナメになってる仏像?が展示?してあるんですが、それに関する解説が見当たらず、いったい何なのかよくわかりませんでした。体験談に関係あるのかな…?
体験談は、「都会から空襲を避けて仙台に疎開してきたその日に仙台空襲に遭って、持ってきた荷物が全焼した話」とか「学校の先生が家に帰ったら家族も子供も壕の中で死んでた話」とかどれも気の毒なのばかりです。何話か聞いたけど同じ話がなかったので、けっこう種類があるっぽい…?全部聞くのに何分くらいかかるんだろう?そのへんも特に説明はなかった気がします。
この、「空襲警報旗」とか「空襲警報発令中」っていう看板?をたまに見かけますが、そんなの掲示してる場合なのか…?いちいち掲示を確認してから避難して間に合うもんなんですかね…?
防空壕の実物模型があってマネキンが設置してあるんだけど、これは出来れば中に入って狭さとかを体験できるほうが子どもにうけるんじゃないかな。
バーチャルの戦争をカッコイイとか言うような子供向けに、入って入口をしめると真っ暗になって、外から焼夷弾の音と逃げ惑う人の悲鳴が聞こえて、爆撃で揺れたり室内の温度が上がって息苦しくなってきて、出ようとしても土で扉がふさがっていてあかない…みたいなトラウマ4DXにすれば、戦争はいけないという戒めになるのではないか。
とはいえ、いま戦争が起きたら、防空壕掘ってる間に核爆弾が落ちてきて何もかも終わるんだろうか。
なお、仙台空襲の罹災証明書は即日発行されたらしいので、なんなら今より対応が迅速なのでは…
仙台空襲の爆撃中心点
米軍の作戦では、仙台空襲の目標地点がクリスロードと東三番丁の交差点だったそうです。
こんな田舎まで事前に偵察して航空写真撮って分析して作戦たてて、搭乗員に地図持たせて、そこを狙って爆弾を落とせば、Sendaiは壊滅だぜ!フー!っつって、街が壊滅する量の2倍の焼夷弾を投入してくるって、オーバーキル過ぎる。
ただ、初めて飛んできた真夜中の仙台を上空から見て、目標地点ってわかったものなのかな…?
【2022年2月追記】
2020年7月に有志の方々により、近くにある桜井薬局ビルに壁にこの↓案内パネルが設置され、
2021年12月には銘板が設置されました。
作業の増進に覚せい剤が推奨される、狂った時代だったんだな…と今は思うけど、75年後の人達からすれば、我々もキチガイに見えることでしょう。
75年後もこのまま平和っぽいものが続いているなら、多分。